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佐村河内 守氏(51)独占インタビュー。 放送での全文を紹介します

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謝罪会見から9か月。
「今年のニュース決定版2014」で会見後からカメラの前に初めて姿を見せ、
インタビューに答えたのが放送されました。
インタビューでは、佐村河内氏の妻が手話通訳を行い質問内容を
伝えていました。
放送されたインタビューでの全文・全言葉を紹介します。

「生活としては、この家から外出するっていうことは、合計でも3・4回くらいですかね。
精神的な面でいうと、本当に私がすべて作っていた。
本当は共作だったのに、一人で作っていたと信じてくれて応援してくれた、裏切った方、国民の皆さん、8割方すべて謝罪のような生活ですかね。本当に申し訳ない気持ちで、それを心の痛みとして、ずっと受け続けていた10ヵ月でした。」

(ナレーション)かつての長髪に戻っていた彼は、今何を思っているのか?
「大罪人とか罪悪のかたまりみたいに、そんな世紀のペテン師が譜面も書けないのに、絶対に復帰してはならない、そのくらいの罪だと思っていますけど。」

(ナレーション)しかし、佐村河内氏には、どうしても伝えたいことがあるという。
「その、解かなければいけないものがあるっていう気持ちはありましたけど、、、」

(記者)「その解かなければならなければこととは、何ですか?」
「誤解ですかね。」

(ナレーション)クラシックCDとしては異例の累計18万枚を売り上げるなど、全ろうの作曲家として世間の目を一身に集めていた。しかし、大学の非常勤講師を務めていた
新垣 隆氏がゴーストライターであると告白。

(記者)「耳が聞こえていると思うと新垣さんがおっしゃっていたと思うんですけど」
「すごい衝撃でしたね。聴覚障碍者を装っていると言い続けられて、これまできています。」

(ナレーション)騒動を受けて横浜市が専門の病院に依頼した検査によると、佐村河内氏の聴力レベルは左右の平均が50.1dB。感音性難聴と診断された。
「全体的に音が普通のひとより半分聞こえなくて、しかもそれが直接大きな音で入って、聞こえたとしても曲がって聞こえる。」

(ナレーション)しかし、身体障碍者は取得していない。日本は基準が厳しく、佐村河内氏には発行されなかった。WHOの国際基準では、彼の聴覚は聴覚障碍者として認定される範囲だ。

「その、事実と違うことが蔓延してしまって、ペテン師みたいに何を言っても嘘と思われて、自分が言うのもアレですけど、全ては耳の誤解からだと思うんですよ。私の耳に対する全く真実と違うことを発表されて大事件になったおかげで、本当にたくさんの聴覚障害がある、私と同じ障碍の人たちや一番苦しい立場にいる人たちに、僕はすごく迷惑をかけたと思う。

(ナレーション)3月の会見では、佐村河内氏はこう語っていた。「3年くらい前から言葉が聞き取れるときもあるまで回復しました。」

(記者)「数年前からある程度聞こえるようになったとおっしゃっていた。そのときに周りに言えなかった?」

「音が分かるんだけど会話的には全く前と変わらないので、言う義務があるとか再検査するとか、結局その音がねじれて、大きな音を耳に当てても分からない訳ですから、必要性を感じなかったということですよね。

(ナレーション)彼は聴力が回復したあとも再検査をうけていなかったという。続いて。曲作りを依頼する時の構成、いわゆる「指示書」を見せてくれた。そこにはびっしりと文字が詰まっている。

「資料をカラーコピーして、彼(新垣氏)と対峙した時に、全然これはまだ大した事ない、もっともっと細かく詰めていく。さらにはメールで詰めていく。彼には迷惑だったと思いますよ。彼は帰りがいつも遅いので、話が夜中になってしまうけれどここをどうしてくれとか、、、。私が発注した要望した構成したものを、彼が嘘なく忠実に作ってくれる。全く忠実に再現してくれるので僕はだんだん耳が悪くなって、全く聞こえなくなってからも彼を信じていました。

(記者)新垣さんとは阿吽の呼吸があった?
「それは絶対ありますね。あと、彼の信頼性というのは本当にありました。」

(ナレーション)そして当時の2人の関係をこう語る
「あのね、利害が一致していました。彼は名前を出して欲しくなくて、お金はもらいたい、作りたい。私はお金を払う、彼はそのお金で満足する。」
(ナレーション)さらに自伝の中に書かれている自分の音楽の経歴について
「本当にお話しすると恥ずかしいですけど、私は「交響曲第一番」という自伝のね、嘘の本を書いた。聞こえないのにこんなすごい曲を書ける人というのは、さぞや幼少期は優秀だったに違いないってとこらは、僕は本当に優秀じゃなかったわけですから。嘘本を書かなくてはならないけど、「助けてくれないか?」って言って協力したのが、新垣 隆さんが書いた。彼はそこまで加担しているんですよ、本当は、、、。」

(記者)「こういう指示書なんかも見ていると、本当にいいコンビだったんだなと」
「まぁ、悪い仲間ですけどね、、、はい。」

(記者)「どうして最初から共作ですと言わなかったのでしょうか?」
「まぁ、ひとつにはやっぱり、新垣さん自身が勘弁してくれと、表に出さないでくれと。でも私としては、作曲の時間が少なすぎる、協力してほしい、、、。でも新垣さんは名前を出さないでくれ、出さないでいいと言われ、じゃぁ私一人の名前でっていう、、、。でもその中には、欲もあったと思いますよ、僕の、、、。欲ですよね。自分一人の名前で出せたっていうのが、うれしかったんだと思います。本当に恥ずかしいです。

(記者)迷いとか葛藤はあったのでしょうか?
「そうですよね。一番近い人(妻)をずっとだまし続けたわけですから。そこは本当に一番しんどかったところではあります。」

(ナレーション)現在イベント企画会社から訴訟をおこされている佐村河内氏。最後にこう締めくくった。
「罪は消えないですけど、こんなバカなことはないと思うんですよ。本当に今思うと、人は大なり小なり嘘は方便でつくかもしれないけど、その時生まれて初めて感じられたのは、もうこれからは絶対に一つの嘘もつかないで生きていこうと、、、。今後は嘘のない人生で音楽を続けられなくても何かで生きていければ。」

会見のときとは違い、とても穏やかに話していた佐村河内氏でした。
善悪の程度は別にして、
純粋に音楽は好きで、
それなりの才能はあるのかなと、、、。
と同時に、やっぱり見かけは大切だなと、、、。
あの長髪と髭はマイナスイメージと思うのですが。




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